休みとされており、夏休みとの関連においても適切である。
なお、「海の記念日」は、海を知り、海運の重要性を広く国民に知ってもらうために定められたもので、明治九年、東北・北海道をご巡幸になった明治天皇が、軍艦以外の当時の最新鋭船「明治丸」に乗られ、海路、横浜港にお帰りになった日に因んだものである。

 

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「海の日」制定のための国会審議においては、一部に軍国主義的雰囲気の強かった昭和十六年に決定された記念日を国民の祝日にするのは、軍国主義の復活に結びつくものではないかとの議論があったが、「海の記念日」は、船員をはじめ、海運、港湾、倉庫、港運など海事関係者を中心に、毎年全国各地で多彩に行われてきた記念行事や催し物を見てもわかるように、軍国主義とは全然無関係に、五十数年の長きにわたって営まれてきており、そのような議論は、全く根も葉もないことである。
また民主主義の時代に、天皇の行事に因んだ記念日を祝日にするより、例えば咸臨丸が米国へ出発した日や天正時代に九州のキリシタン大名がローマ教皇等に派遣した少年使節の出航日を元にする方がよいのではないか、という意見もあったが、いずれも真冬の時期であるということもあって、「海の日」に適切であるとは思えない。
仮に、「海の記念日」がなく、白紙の状態で「海の日」として最も適切な日はいつかとして考えた場合、海に親しみ易い真夏の始まる時期で、夏休みを避け、極力梅雨の時期をはずそうとすれば、やはり七月二十日に落ち着くことになると思われる。
「海の記念日」は、次官会議によって公的に定められたもので、それなりに意味のある日であったが、食生活、物資輸送、人々の交通、文化の交流、レジャー活動、環境保全、気候など、広範かつ重要な海の恩恵を考えると、単なる記念日であるより、祝日として国民一般が海に対する認識を深め、海の恩恵に感謝し、海を大切にする日とする方が一層適切であると考えられる。
蛇足ながら「明治丸」は、明治七年に英国で建造され、全長七三・三メートル、総トン数一、〇一〇トン、鉄製の汽船で速力一一・五ノットであった。昭和五十三年に国の重要文化財に指定され、現在東京商船大学に保存されている。
他の祝日候補との関係
国民の祝日候補としては、「海の日」のほかに、メーデー(五月一日)、環境の日(六月五日)、平和の日(八月十五日)など七つの要望が出されていた。「海の日」は、後述するように、経済界、労働界の積極的な支援があること、一千三十八万人もの多くの署名が寄せられたこと、四十七すべての都道府県を含む全国七割の地方白治体の意見書の提出がなされたことなどから、他の祝日候補と比較しても、群を抜いて国民世論の高まりが認められたものである。
諸外国の祝日数
祝日というのは、その国の社会、文化、歴史、宗教などと密接な関係を有するものであり、単純に祝日数だけを比較しても大して意味はないのであるが、一応諸外国の祝日数を並べてみると別表のとおりである。米、英、加は十日、ヨーロッパは十三〜十六日など、国により所により区々である。我が国は、先進国の中では祝日が多い方であるとはいえる。

 

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